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十月 21, 2018

s1317

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信扫描序列号:s1317
写信日期:1993-07-10
写信地址:辽宁省沈阳市
受害日期:1941-1945
受害地址:辽宁省辽阳市
写信人:罗平凡
受害人:罗平凡
类别:其它(OT)
细节:罗平凡在1941年在辽宁省辽阳市被日军抓去坐牢,受尽酷刑,直到1945年日本战败才被出来。

 

尊敬的童增同志:
  您好!
  兹随信寄去组织证明信一份。因为当年一月哈尔滨入狱的同志,都生死下落不明,只找到二位同志已早已不在人世,所以只好由组织证明。
  《向日本国要求受害赔偿的申诉书》中、日文各一份,上一回给您寄去过,请您审阅。中文部分也较过去写的书面材料,简单扼要翔实。日文部分更是如此,原来我写个底稿,我外甥是黑龙江省大学日语专业毕业,又找到黑大研究生日语导师,王教授,所以这份文稿可以说是纯真、正宗、标准日本语。所以我向索赔全国委员会、沈阳总领事馆,以及将来索赔市委员会,都提交这两份中、日文稿。至此您在北京让我做的事,都按您的指示做完了!(组织签名,找我们同案的,证明材料)特别让我准备一份到日本大使馆向日本人讲话稿,我特别慎重那份日文发言稿,写的非常好,很有份量。您说必要时候可以到日本大使馆去讲。所以我一直等着。最近王群力同志从北京回来说是8月4日有个日本代表团来北京,沈阳地区准备去两个代表,沈阳去一位说是割掉耳朵那位,另一位说是锦西的,据说有名额限制。我们这里郝爱华同志想去参加(暑假期间想到北京去),他父亲和伯父于1943年被日本抓劳工,到东宁国境修秘密工事,一去音信皆无已48年想早已死难了。家破人亡,血海深仇,想要控诉。
  我1942年是中国善良的老百姓(现在是中华人民共和国公民),又有组织证明信,因抗日大联合被日本宪兵队抓去,酷刑,独居览的非人生活,总算命大没折磨死。在日本投降时,险些遭到关东军枪杀。九死一生的幸存者又准备一篇地道的日文发言稿。如对索赔有帮助,自费我们也愿意去。王群力说到北京再跟您商量,请您考虑一下,如果名额有可能,您让我写日文发言稿,不就是准备向日本人讲的吗?如果可能请早点通知我们好做准备。如果不能直接给我们写信。就请告诉王群力同志通知我们。
  接到您的名单后,我们就开始工作,那看时间,每个阶段都向您做了汇报,因为没有来信,只好按您名单所指示那样,摸索去做。成立核心组开了一次会(那次王群力同志因为接到通知晚没参加,徐勇始终没参加)。
  王群力因为总公出很少见到,我离郝爱华近所以常接触,为了维护小组团结,我只好穿梭往来于三人之间,通通消息。
  后来我和郝爱华同志商量要给在沈的同志写通知,(王群力同志公出不在)由郝爱华同志写信准备会场。于7月8日(星期四)午后1时30分在99中西楼三楼1年6班开会(郝老师是班主任,学校期末考试完学生放假),会场布置得很庄重,有录像,大部分同志发言,部分带有控诉性的,由郝爱华同志主持并介绍国内外索赔情况。我介绍了接到名单后的组建经过(开会前没开小组会,我个别走访了几个同志),我们暂定为索赔筹委会。
  我们接到名单的只有我、群力和郝老师,所以就做成三人小组。核心组有:郁其文(开过会就病了),以后由您介绍来胡广文同志,史宝华只来过一次,徐勇始终没来。
  三人中我已退下来,群力、爱华在岗位上,都年富力强,但都有本职工作。群力工作抽不出时间,所以由爱华同志主持,我协助他们工作,目的对日索赔。一切工作都属奉献,日本赔偿或能得到索取。无个人利害,我不能带头,所以这个人选由我提出比较合适。既然叫委员会(暂定)郝爱华为主任委员(名称暂定,因为提供会场,写通知,印刷两会材料),副主任委员王群力(因为经常公出),罗平凡(主持日常工作,但无办公地点,只能暂定),有时间,可以多联系。因为三人接到名单后才有这个组织,名单顺序第一位,所以由我提出(这倒不主要因为总得有人提出,其他同志都不了解情况,无法提出。因为三十几人不能总来开会,因为我身受其害又是幸存者有资格索赔,但得日本赔偿才能实现,在有生之年能否实现很难说,活着一天要一天,要不来子女接着要。所以我们要求几点:
  1、我们都是死难或者身受其害的,以及其家属子女。我们要对得起这些人。
  2、这些人是童增同志发展的。童增同志一身正气,大公无私,和霭可亲,平易近人。我们要接过这种好传统,好作风,不能冷落这些同志,满腔热情。
  3、只有奉献,没有索取,互相同情,互相帮助完成索赔。(包括声威国威)(我们这些人不能互相同情互相帮助,怎能求得别人同情帮助,王群力同志做了总结发言。
  7月10日(星期六)郝爱华、王群力、孟繁贵(这次参加会议的很热心),罗平凡(胡广文同志到康平公出不在),又到市民政局去联系就登记问题,这次核心小组采取推荐与自愿相结合,(因为是义务职,所以需要自愿有没有时间来参加)
  结果还是因为没有红头文件,没能批准。上回接待我们的王强鸿于世夫俩同志没露面。换了个五十多岁的王主任,(可能是正主任)官不大,僚不小,官腔十足。
  另外求您一件事:当年日寇投降,关东军要谋杀我们多亏当时哈尔滨监务人看守长浅野虎一郎先生。[他]以一个日本人身份,以自家身家性命担保,释放当时一千多名政治犯。这在当时军国主义统治下是要杀头的,冒着自己生命危险,拯救了我们,这种浩然正气,感人致深,所以是凡看过我这份材料的同志,都要我想法找到浅野先生,如果您那里可能想法帮我找找。下次我到沈阳总领事馆想找根岸和时让他也帮我找找,(上回根岸接待我)所以有机会我对日本访华代表团讲最合适。(能用日语直接讲又有一篇地道日语发言稿)。我亲身经历日本宪兵队的酷刑、监狱非人生活的折磨,关东军的谋杀,真是死里逃生,九死一生,我今年76岁是幸存者活见证。另外哈尔滨监狱看守长浅野虎一郎先生舍生忘死,舍己救人的精神感人至深,这对有正义感的日本人,震动会是很大的,对其他日本人也会促其猛醒。这对我们索赔和中日友好关系上也会是可歌可泣的一页。因为我们现在经济条件所限,不然到日本国去宣传,浅野先生的感人事变也会引起很大的反响。因为经济条件,这只能是我们一种想法和希望。心余力违。而且这种愿望从日本投降后就有的。
  您的正义行动和浩然正气,凡是看过“讨公道”文章都有同感。您们带头帮我们这些受害者索赔。我们人正索赔无门时指出一条光明大道。当然取决于日本政府。接到您寄来的名单感谢您们对我们的信任,也诚惶诚恐感到责任重大。因为沈阳这些人都寄愿望与您,我们尽点棉薄之力是应该的,担心能否达到您那样好思想、好传统、好作风。因为我们三人小组、核心小组,我接到名单后尽心竭力委曲求全穿梭往来于同志之间,为您创的事业、小组之间,我愿分担责任。因为是义务职,只有奉献,没有索取,更谈不上名利。我个人是毫无所求,因为我们从事工作是正义的,一些非正义的我们是不愿见到。除名单外没有任何书面的东西,(除两会材料外)要工作会有不同意见的,将来民主协商解决。当然能否在有生之年得到赔偿还不敢说,但能公开向日本索赔这就是一件了不起的事。工作上请多指教。
  祝
身体健康 工作顺利 万事如意。

罗平凡
1993年7月11日

  关于王书刚同志原来我考虑市体委招待所可以做小组聚会或登记站设在那里。他说可以集体集会他和领导研究。以后因为孙在沈同志的通知没定下来所以没去他那里。那天我到那里因为很多时没去他说我(王书刚)已经给童增去信了。在这次会议前两天我去找他,他说他有困难。所以他那里恐怕用不上了!

侦星工作1230事件哈尔滨入狱名单

  王鸿恩:伪黑龙江省呼兰县协和会长 死刑
  刘世恒:日本东京帝国大学 伪黑龙江省开拓厅 死刑
  以上二人均被绞死在哈尔滨道里分站
  孙凯:伪长春法政大学 伪黑龙江省依兰县检察官 无期徒刑
  夏云步:伪长春法政大学 伪黑龙江省克山县审判长 无期徒刑
  杨顺有:日本东京工业大学 伪鞍山昭和制钢所工程师 无期徒刑
  孟宪荣:伪哈尔滨医科大学 伪哈尔滨红十字会医院外科大夫 15年有期徒刑
  周芳:伪铁路学院 伪哈尔滨铁路局机务段司机 15年有期徒刑
  罗富雍:伪哈尔滨工业大学 伪哈工大助教 15年有期徒刑
  罗明哲:伪吉林高师 伪哈尔滨二高教员 15年有期徒刑
  罗永年(现名罗平凡)伪中央师道训练所 伪黑龙江省巴彦县实验校首席教谕 15年有期徒刑
  刘尧渝:日本京都帝国大学 伪哈尔滨农大教授 10年有期徒刑
  许长林:伪哈尔滨农业大学在学 10年有期徒刑
  蒋春沂 伪铁路学院 伪哈尔滨铁路局机务段司机 10年有期徒刑
  宋毓檀 日本东京麻布兽医学院 伪哈尔滨警察局卫生科 10年有期徒刑
  孟宪林 伪长春法大在学 10年有期徒刑
  高云峰 伪哈尔滨小学教员(病死在狱中) 10年有期徒刑
  康万昌 伪黑龙江省双城县农民 10年有期徒刑
  王际青 伪铁路学院 伪黑龙江省北安铁路局电气段 10年有期徒刑
  梁光维 伪哈尔滨电业局 10年有期徒刑
  何正卓 日本高等商船学校 伪哈尔滨江上军中尉 10年有期徒刑
  孙志  伪铁路学院 哈尔滨列车段车长 10年有期徒刑
  唐允武 伪长春工大 伪哈尔滨江上军技师 10年有期徒刑

日本战争受害者索赔全国委员会:
  兹证明我校罗平凡同志(建国前参加革命已退休)于1939年入伪中央师道训练所学习。同年9月赴日本教育视察。于日本东京参加留日学生所组织的“抗日大联合”。
  1941年12月30日该组织被日本宪兵队所破坏。称:“侦星工作1230事件”。
  罗平凡同志(原名罗永年)于1942年2月2日被日本宪兵队所逮捕在哈尔滨入狱直至1945年八月十五日日本投降为止,险遭杀害,遇救始脱险出狱。(见伪满洲国司法部行刑司东北地区政治犯名簿。)
  罗平凡同志提出的《向日本国要求受害者赔偿申诉书》所具内容属实。特此证明 附:《向日本国要求受害者赔偿申诉书》中日文各一份

辽宁省文化干部学校(签章)
辽宁省文化艺术职工大学(签章)
1993年7月10日

  附:侦星工作1230事件哈尔滨入狱者名单

向日本国要求受害赔偿的申诉书

日本国诸位先生、女士:
  您们好!
  我是一名日本侵华期间受害者之一。我以自己在日本侵华期间亲身经历的悲惨遭遇,控诉日本侵略者的种种罪行,并申诉要求日本政府给予受害赔偿。
  我原名叫罗永年,(现名罗平凡)于1939年入伪中央师道训练所学习。同年9月,赴日本教育视察,在东京小石川区御殿场アパート(公寓),参加了由在日本东京都帝国大学留学的于尔金和刘世恒所组织的“抗日大联合”。
  1941年12月30日,日本宪兵队在中国大逮捕,制造了闻名的“侦星工作1230事件”。我在1942年2月2日被辽宁省辽阳市日本宪兵队逮捕。捕后,经奉天(现在的沈阳市)日本宪兵队本部押送到哈尔滨日本宪兵队本部,关在哈尔滨市道里分监拘押死囚的“独居监”(俗称小号)。关押期间倍受酷刑。
  当时,正是东北滴水成冰的严寒季节,囚室无任何铺盖,只能栖身于冰冷刺骨的水泥地上。监狱的地上爬满了白色的饿虱。我们衣不遮体,食不果腹,由于冻饿虱咬,浑身长满疮疥,奇痒难耐,脓血遍身,惨不能生。当年很少有人活着出来。
  1942年,“侦星工作1230事件”的人被哈尔滨伪高等法院判决:
  王鸿恩:黑龙江省伪呼兰县协和会长,死刑。
  刘世恒:日本东京帝国大学,黑龙江省开拓厅,死刑。
以上二人被绞死在道里分监。
  无期徒刑三人,15年有期徒刑5人,10年有期徒刑11人,7年有期徒刑1人。
  这些人被关押在哈尔滨香坊监狱,不仅失去了人身自由,而且镣铐加身,每天吃不饿,穿不暖,做着牛马般的苦役,直至日本投降。
  1945年8月15日日本政府宣布无条件投降时,接管了哈尔滨监狱的关东军下令:除日本人外,中国人一律不准进入监狱。
  当时,监狱里关押着1千多名政治犯。由于接管监狱的关东军没有接到释放被关押者的命令,不敢放人,但是又怕这些人暴动,遂生毒计:佯称有土匪要突袭监狱,诱逼被关押者越狱逃跑,然后开枪射击,能打死就打死,逃跑的也不负释放责任。(当时黑龙江省牡丹江市监狱就是这样枪杀了所有政治犯)。
  8月15日晚,关东军荷枪实弹,在监舍内外巡逻。当时,监狱里有位叫浅野虎一郎的看守长,是个富有正义感的日本军人。他同情中国政治犯,在监狱的日本人中也颇有威望。浅野看守长告诉我们:“如果关东军让你们‘突围逃跑’,我来接你们,要紧跟着我,千万别离开一步。”
  8月16日早上,浅野先生以挖野菜为名,把我们9个人带到监狱大墙外东边的林子里。当时监狱大门口支着四挺机关枪,组成火力交叉网,整个监狱一片杀机。浅野先生说:“我现在以一个日本人的身份想法释放你们。这次战争是日本军阀挑起来的,日本人民是无辜的。”他环视着周围严密把守的关东军,知道不能让我们立刻逃走,只好又把我们重新领回监狱,但表示一定想办法帮我们逃出这个人间地狱。
  第二天,由浅野先生出面同关东军交涉,愿意以一个日本人的身份释放我们,如果日本政府追究释放责任,他将以自己身家性命担保。
  因为一次性释放人多目标大,怕关东军开枪阻劫,只能三三两两地分批逃出虎口。
  从1942年初到日本投降,我们在监狱里遭受磨难三年之久,死里逃生,险遭杀害,从身体到精神,从皮肉到心灵,受到了残酷的摧残与伤害是无法用语言来形容的。为此,我们这些日本侵略军的受害者坚决要求日本政府给予500万元的受害赔偿!
  日本侵略者曾使中国生灵涂炭,千千万万无辜百姓惨遭杀害,这是任何赔偿都无法抵偿和弥补的!
  我们相信,所有具有正义感的日本人民一定能赞成我们的合理要求。得道多助,失道寡助,正义的日本人会重道重理!
  谢谢诸位!

日本侵华期间受害者:罗永年
(现名罗平凡)
1993年7月10日

  附:侦星工作1230事件哈尔滨入狱名单

日本国に被害者に対する賠償を要求する訴え

日本国の先生方、女史方:
  こんにちは、私は日本が中国を侵略した期間に被害者の一人です。私は日本が中国を侵略した期間に身を以って経験した悲惨な遭遇を持って、日本侵略者のさまざまな罪悪を訴えようと思います。そして日本政府に被害者に対する賠償を要求するのを訴えようと申し上げます。
  私の元の名前は羅永年と言い、今の名前は羅平凡と言って、1939年偽中央師道訓練所に入って、同年の9月に教育視察として日本へ行って東京小石川区御殿場アパートで日本東京帝国大学に留学している于尓金と劉世恒が組織された抗日大連合に参加しました。
  1941年12月30日日本憲兵隊は中国で大逮捕を行い、聞く人を驚かす「偵星工作1230事件」をかもしだしました。1942年2月2日私は遼寧省遼陽市の日本憲兵隊に逮捕されて、日本憲兵隊の奉天(現在の瀋陽市)本部を経てハルピン憲兵隊本部へ護送されました。ハルピン市道里分監獄の死刑拘禁する「独居監(俗名小号と言う)」に監禁されました。監禁期間にことのほか残虐な刑罰を受けました。
  その時は中国の東北の真冬でしたたる水が凍ろ非常に寒い季節でした。獄舎にはいかなる夜具がなくて、冷たくてはだを刺すようなコンクリートの地面に身を寄せていました。獄舎の地面に飢えた白虱がたくさんいました。私には着物がぼろぼろになり、食べ物がお腹いっぱい食べられなかったのです。寒さやひもじさや虱に刺されたことによって体中に疥癬がでて痒くて痒くてたまらなかったのです。そして膿や血が出てむごたらてくて生きられないようにないりました。その時、独居監から生きたまま、出てきたものはごく少なかったのです。
  1942年偽ハルピン高等裁判所は「偵星工作1230事件」に判決されました。
  王鴻恩 偽黒竜江省呼蘭県協和会長 死刑
  劉正恒 日本東京帝国大学 偽黒竜江省開拓庁 死刑
以上の二人はハルピン道里分監獄で絞首刑にされました。
  それに無期懲役3人、15年の有期懲役5人、10年の有期懲役11人、7年有期懲役1人。
  これらの人々はハルピン禾坊監獄に拘禁されて、人身の自由を失うばかりでなく、手枷と足枷をはめていた。お腹いっぱい食べられないし、着物も暖かくない毎日でした。それに牛馬のように苦役に服していました。このような生活は日本降服するまででした。
  1945年8月15日、日本政府は無条件降服を布告した時、ハルピン監獄を接収管理した関東軍は、日本人を除いてすべての中国人は監獄に入ってはいけないという命令をくだしました。
  その時、監獄に政治犯を千名余り拘禁されました。接収管理した関東軍は拘禁された政治犯を釈放せよという命令をうけておかなかったので、政治犯を釈放する勇気がなかったのです。ところが、これらの政治犯が暴動するのを恐れます。そこで、馬賊が監獄を奇襲攻撃をかけてくるという嘘を言って、拘禁された政治犯を誘き出して脱獄させ、そして銃で射撃して殺され、死んだものは死んだが、九死に一生を得たものに対して釈放の責任をとらない悪巧みを企みました。(その時牡丹江監獄はこのような手段で政治犯を全部銃殺したそうです)。
  8月15日の夜、関東軍は完全武装で監房の内外をパトロールしていました。その時、監獄に浅野虎一郎という看守長がいました。彼は正義感を持つ日本の軍人でした。彼は中国の政治犯を思い遣っていて、監獄にいる日本人の中でも人望が頗る厚かったのです。その時、看守長の浅野さんは私たちに「もし関東軍はあなたがたに包囲を突破させようとしたら、私があなたがたを出迎えに来ます。そして一歩でも離さないように私のあとについて下さい。」と教えてくれました。
  8月16日の朝、浅野さんは山菜をとりにいくという口実で私たち9人を監獄の囲いの外の東側にある林の中に連れていってくれました。その時、監獄の表入口に機関銃が4挺置いてあって火力網を組んでいて、監獄中に殺意を起こそうとしていました。浅野さんは「私は日本人の一人としてあなたがたを釈放します。今度の戦争は日本軍閥が挑発したのですが日本人民には罪がないんです。」と言いました。彼はこのお話をしてから、その廻りの守備を厳にする関東軍を見廻しながら私たち監獄の中へ連れてもどしました。いまのところではすぐに私たちを釈放することができないのを彼はちゃんと知っているのに、なんとかしてこの監獄を脱出するのを助けてあげようと言いました。
  翌日、浅野さんが顔を出して関東軍にかけあいをして一人日本人として、私たちを釈放することにしました。もし日本政府がこの責任を追究したら一家の生命を持って保証すると言いました。
  みんな一斎に監獄を出ると目標が大きくて、関東軍が射殺する恐れがあるから、それぞれ2、3人しかこの監獄から出られませんでした。
  私たちは1942年のはじめから日本が降伏したまで、監獄の中で3年余りの苦難をなめ尽くしました。私たちのような九死に一生を得た人々は肉体から精神まで残酷にしいたけられ、傷つけられたことはことばで言えないほどでした。
  このため日本侵略軍の被害に見舞われた私たちは日本政府に被害賠償を500万円いただこうと要求します。
  日本侵略者は中国の人民に塗炭の苦しみにおちいらせて、何千万という罪がない平民を殺したのです。これはいかなる賠償でその損失を補うことができないと思います。
  正義感を持つ日本人民が私たちの合理的要求に賛成してくれるだろうと思います。
  道にかなえば助けが多く、道にそむけば助けが少ないという道理が正義の日本人がわかるだろうと思います。
  どうもありがとうございました。

日本国が中国を侵略した時に被害を受けた人
(原名)羅永年(いまの名前)羅平凡
1993年7月10日

  附:侦星工作1230事件哈尔滨入狱名单

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